1942年名古屋生まれ 双子座

 大学で有機化学・有機合成化学を学び、1971年通産省工業技術院公害資源研究所入省VOCs(リンク)の測定・環境挙動をテーマ研究所、大学で40年研究生活を送る。

元資源環境技術総合研究所大気計測研究室長
元帝京科学大学理工学部教授

研究経緯

1.研究開始の時期:悪臭公害、光化学スモッグをテーマに研究職・研究生活始動。

  当時、“光化学スモッグと思われる重症被害”とマスコミ報道された不思議な公害問題が大きな問題が発生し、現地調査等を行った
 (リンク)。問題は未解決のまま社会問題としては沈静化
  問題は“未知の揮発性の有機化合物ではないか”という問題意識から揮発性有機化合物(以下、VOCs)を開始

2.大気中の微量VOCsを成分分析する手法の研究

  *当時、VOCsの分析法は未確立で有効な手法はなかったため、独自開発
 *測定法の検証を行うとともにフィールドでの実測研究を行う
  ⇒測定法の開発・検証、フィールド観測によるVOCsの環境挙動
  ⇒有害大気汚染物質規制等、行政施策に対応して発生源事業所での発生源、周辺環境への影響について実測調査

3.現地実測調査など関わったVOCsに関わる環境問題

  行政機関研究員として行政施策に対応するとともに研究者個人として独自に研究活動
  ⅰ 杉並病  
  ⅱ シックハウス問題 
  ⅲ “化学物質”過敏症問題 

・・・いずれも未解決のまま社会問題として沈静化しつつある:
  *水俣病イタイイタイ病など原因物質が金属化合物であったことと比較してVOCsは多様であるとともに環境寿命に限界があるた
   め、原因物質が特定できないという困難さがある
  *VOCsの多くは化学商品として製造・流通しているものであり、単準に禁止などの行政的措置ができない(やらない)。
   ・・・・関係企業の抵抗がある
  *水(飲料水)は商品となりうるが、大気は商品にはならない。

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論文

海水中の揮発性有機化合物分析のためのパージ-トラップ-質量分析計 自動分析システム
分離科学 24 97-103 2001年 

An automated purse and trap gas chromatography-mass spectroscopy system for the sensitive shipboard analysis of volatile organic compounds in seawater
Journal of Separation Science 24(2) 97-103 2001年

新築住宅室内における揮発性有機化合物の発生と経時変化
鄭 境岩, 田中 敏之, 田中 辰明, 小林 靖尚
環境化学 10(4) 807-815 2000年 

Emission and concentration change of indoor VOCs in newly-built houses
ZHENG
J. of Environmental Chemistry 10(4) 807-815 2000年 

The source characterization and chemical change of ambient aromatic hydrocarbons
T Tanaka, T SamukawaCHEMOSPHERE 33(1) 131-145 1996年7月  

語句の解説

イタイイタイ病

イタイイタイ病とは,カドミウムの慢性中毒によりまず腎臓が障害をおこし,次いで骨軟化症をきたし,わずかな外力や咳によっても容易に骨折をおこす疾患で,患者は「イタイイタイ」と激痛を訴えたことからイタイイタイ病と名付けられた。この疾患は,富山県神通川流域で発生し,中年以上の女性,特に子どもを産んだ女性に多く,体や手足の痛みを訴え,歩行できなくなり,体がおとろえて死に至ることもある疾患で,1968年に日本で初めて公害病に認定された。

イタイイタイ病の原因となるカドミウムは,神通川上流の高原川に三井金属鉱業神岡鉱山から鉱廃水に含まれて排出された。神岡鉱山では,江戸時代から金銀が採掘されたが,金銀の枯渇に伴い,亜鉛採掘に切り替えられ,その後浮遊選鉱法が導入され,亜鉛の大量生産が始まった。カドミウムは亜鉛鉱石中に含まれている。今でこそニッケル・カドミウム電池,顔料,合金などと,利用価値は高いが,当時は特に用途がなかった。このため,亜鉛の大量生産が開始されるに伴い,神通川流域に大量のカドミウムが排出された。

カドミウムは,農業用水を介して水田土壌を汚染し、汚染された水田で収穫された米を常食にしていた住民の体内に高濃度のカドミウムが蓄積された。富山県神通川流域では,大正時代にすでにイタイイタイ病の発症例がみられた。戦前から,稲作被害の主原因は,神通川上流の神岡鉱山の鉱毒であると疑われていたし,鉱毒で汚染された米がイタイイタイ病にも関連があるだろと疑われていたが,それ以上の究明にはいたらなかった。イタイイタイ病の原因として,細菌説,栄養不良説,リウマチ説などが唱えられるなか,1957年に地元の萩野昇医師が重金属説を発表し,その後,1961年にカドミウム原因説を発表した。しかし,政府がカドミウムが原因であると認めたのは,それから11年後の1968年になってからである。

患者らは1968年三井金属鉱業を訴えて富山地裁に提訴し,1971年勝訴,控訴審でも翌年名古屋高裁金沢支部で勝訴した。三井金属は全患者と和解し,医療救済,農業被害補償,土壌復元,公害防止対策をすることを約束した。イタイイタイ病患者としての補償を受けるためには,イタイイタイ病として認定されなければならないが,医学的には明瞭なイタイイタイ病患者でも認定されない,死亡後に認定されるなど未認定患者の問題は,いまなお残っている。2005年末現在,188人がイタイイタイ病患者として認定されていて,要観察者は延べ334人に上っている。

1968年,当時の通商産業省は,三井金属に対し精密な水質調査を実施するとともに,中和処理の徹底と,沈殿装置の改善などを指示した。1970年に水質汚濁法が制定され,翌年排水基準を定める総理府令が施行され,カドミウムの排水基準は0.1mg/lと定められた。カドミウムは,図に示す鉱山廃水の一般的処理の中和処理と凝集沈殿で水酸化物の沈殿として除去でき,理論的には、pH10で0.44mg/l,pH10.5で0.044mg/lまで処理できる。鉄などの共存重金属が存在すると,それよりも1~2低いpHでも沈殿する。神岡鉱山は2001年に閉山したが,現在も湧出する鉱山水による環境汚染を防止するために水処理が行われている。(環境化学の辞典、朝倉書店、2007、p113)

水俣病

水俣病は,工場排水に含まれていたメチル水銀が海や川の魚介類を汚染し,それを食べた人に発症した公害病で,チッソ(当時は新日本窒素)水俣工場が原因で水俣湾を中心に発生した水俣病と,昭和電工鹿瀬工場が原因で新潟県の阿賀野川下流域に発生した新潟水俣病(第二水俣病)とがある。

水俣病の原因となるメチル水銀は,水銀を触媒に利用してアセチレンからアセトアルデヒドをつくる際,水銀化酢酸が副生され,それが脱炭酸して生成される。チッソ水俣工場では,1932年からアセトアルデヒドの生産を開始している。それ以来,メチル水銀を含んだ排水は,1968年にアセトアルデヒドの製造工程が停止するまで排出された。有機水銀は中枢神経系を侵し,症状には知覚障害・運動障害・聴力障害・視野狭窄・言語障害などがある。母親が有機水銀で汚染された魚介類を摂取すると,胎盤を通じて胎児がメチル水銀に侵され,出生後に精神・運動機能の発達が著しく遅延する,胎児性水俣病がある。

水俣病の公式な確認は,チッソの付属病院から水俣保健所に「原因不明の中枢神経疾患が多発している」との報告があった1956年5月1日とされている。その後,水俣市に奇病対策委員会が発足し調査が開始された。その結果,それまで別の診断が下されていた30人の患者にも同じ症状が確認され,1953年に水俣病の最初の患者が発病したことが突き止められた。

原因究明のため,1956年熊本大学医学部に水俣病医学研究班が発足した。はじめは原因物質として,マンガン,セレン,タリウムなどの物質が研究の対象となった。その後,水俣病の臨床症状や病理学的所見が,英国で発生した有機水銀農薬工場での中毒患者と共通の症状がみられたことから,有機水銀に関する研究が進められ,1959年有機水銀中毒説が発表された。しかし,国が正式に認めたのは1968年になってからである。これまでに認定された水俣病患者は,平成16年4月現在で熊本水俣病2265人(熊本県1775人,鹿児島県490人),新潟水俣病690人にのぼる。

水俣工場でこれほど大きな被害が発生した理由は,水俣工場が海岸に立地していたため用水に塩素イオンが含まれていて,塩化メチル水銀が発生し,これが蒸発器から気化し,精留塔ドレインから廃液として水俣湾に排出されたためである。精留塔のドレインが,1960年より循環され,排水量は激減した。また,1958年設置された凝集沈殿装置は溶存しているメチル水銀を除去することはできなかった。1960年に水処理工程が改良され,排泥で吸着処理した後,凝集沈殿装置にかけることにした。これらの対策が施されることにより,1960年以降水俣病患者の発生は沈静化した。

熊本県は,水俣湾の海底に堆積した25ppm以上の水銀を含むヘドロを処理する埋め立て工事を1977年から開始した。水銀値の高い湾奥部を堤防で仕切り,この中に水俣湾のヘドロ約78万m3が埋め立てたてられた。工事は,1990年に完了し,今では運動場や公園に整備されている。水俣湾の魚介類も3年連続して国の基準を下回ったため,1997年水俣湾の魚介類は安全であると宣言された。(環境化学の辞典、朝倉書店、2007、p112)

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